11-15. 幸せの定義

幸せの定義とは

毎日慌ただしくして、一日を懸命に過ごすのに精一杯だと、何が幸せなのかを考えます。

よほど健康で生活に心配がない人で、身に降りかかる災難がまったくなく、かつ仕事も家庭も、環境も申し分ないのであれば、幸せなのかとも考えます。

しかし、そんな人であっても、その状況に納得していなければ、また、さらに上があり、その上の場に身を置きたいと考えていれば、満足も幸せも考えられないのかもしれません。

結局のところ、満足感や幸せ、というものはどのような環境であろうと、自分がそこに生きているということまで掘り下げていかなければならないし、そのなかで「できることがある」、というところで感じるものだと分かります。

場合によれば、その人が生きているだけで周りの人が幸せに感じることもあります。

そもそも、この世界に人として生をうけたことは、それ自体とても幸せなことであり、また、どのような状況にあろうと生きていることが、感謝であると認識できれば、その上に成り立つすべてが嬉しい、楽しい、安心することに変わります。

例え苦しくても、最期の最期まで自分を失ってははならない理由がここにあります。

いま比較的平和な日本は、これから様々な試練を受けることになりますが、生きているかぎり、その事実に感謝し、自分ができることすべてをやりきるために、日々を過ごすことが幸せなのだと、思い直します。

「欲望は海水を飲み続けるようなものだ。益々喉が乾き、きりがない」、と言われています。人間の欲望による行動をまったく否定するものではありません。欲望が行動の基礎となっていることも数多くあるからです。

しかし、欲望だけではない、感謝と使命感による自立した利他の行動がとれればよいと、いま自分自身に言い聞かせています。

それこそが幸せを味わうためのもっとも近い道ではないかと考えるからです。

何かを成し遂げたいという欲求をもちながら、その結果を利他につなげられる行動をとれるよう、活動していきたいものです。

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