[コラム]昭和銀座ジオラマと現実
ジオラマに見る過去
銀座の昔をそのままコンパクトにしたジオラマが有名です。博品館でも販売していますが、つくったのは株式会社バンダイということがわかりました。
銀座の和光がそのままジオラマにも描かれていますが、このジオラマを見ていると見たことのない銀座の街を想像することに我を忘れてしまいそうです。めちゃめちゃ楽しい時間です。
何かをみて何かをイメージする。あるいは想起するということは人間の特性でしょうか。
例えば、蕎麦を食べると母が打ってくれた田舎蕎麦を思い出すとか、白い雲をみると随分昔に丘の草の上に寝転がり空を眺めた季節を思いだすとか、ゆでたてのトウモロコシの匂いをかぐと、小学校のころ田舎の畑からとりたてのトウモロコシを祖母がゆでてくれたことが目に浮かぶとかといったことです。
何かを見たときに思い出すものがどれだけあるのかのかを考えます。
残念ながら、今の自分にそうした過去を反芻するきっかけとなるものがありません。とても悲しいことです。
無理やり思い出せば幼児期のことや小学校のこと。そして中学校のことや高校生のころ。大学に入学したことや社会人になるまでの人生や、社会にでてからのすべてをある程度は思い出すことができます。
しかし、何かをきっかけにして過去を思い出す、懐かしく思うということが徐々になくなっている気がします。
人間は時間のながれのなかで生きており、昔は今ではなく、今は未来でもありません。
いつも新しい時間を生きていて、留まろうとしても留まることができない環境に置かれているからです。
人は、日々何かを忘れ、何かを覚え、集積し、しかし忘れたもののほうがその何倍も大きく、また忘れなければ辛いこともたくさんあります。
また、楽しい思い出に浸っていても次に進めないという動物なのかと思います。
結局は、未来を夢見て生きるにしても、生きるのに懸命になると、それすらも非現実的なものになってしまいます。
過去からも見放され、そして未来も離れていく。とても悲しいことですね。
昔、戦略講座で一日一驚ということを励行しろ、といわれたことがあります。毎日何かに感動する。声に出して言う。あ~なんて今日は良い天気なんだろう~的なことです。
こういうことを繰り返すことで、物事を繊細に捉えることができるようになる、思いをもって接することができる訓練であり、感性の豊かな自分を作り出すことができる、というものでした。
今から考えると、確かに意味がありますね。
未来を引き寄せる
しかし、もっと大切なことは、自分が強くなり目的に向って努力を積み重ね、触れ合うものへの執着や思いを強くしていくことだと考えています。
思いが足りなければ時間は緩慢になるし弛緩します。期日を決めたなかで自分に何ができるのかを真剣に考え、限られた時間のなかで成果をあげようと行動しなければなりません。
そのことが人を成長させるし、多くのものに感動し、また感動を与えることができると考えているのです。
昭和の銀座に親しみのない私にとり、ジオラマは過去を思い出すというよりも、その精巧さや楽しさにひかれているのであり、過去の銀座への哀愁の中にジオラマを置いていたわけではありません。
しかし、この件を通じて、自分の思いを強くもち執着することで、何かに触れて何かを思い出したり、何かをみて未来を考えられる自分をつくりあげてみたいと思えたのは良かったです。
流されるのではなく、主体的に何かを思い、そしてその意識のもとで自分を鍛えていく。
そして、人生の達成感を得るために「過去を糧に、今をつくり、未来を引き寄せられるよう」取り組んでいきたいと考えています。[石井友二]
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