[コラム]表彰式にみる一体感

団体の表彰式にみる一体感

いろいろな問題を抱えながら、オリンピックが始まりました。

真夏になりつつある気候に多くの外国人が辟易とするなか、日本は期待を超えて、メダルを積み上げています。メダルの数というよりも日本選手の頑張りには目を見張るものがあり、メダルを取る取らないの前に、素直に彼らの闘いに感動します。

ソフトボールもそうでした。勝利の瞬間はあっけないものでしたが、最後までドキドキして試合を観戦しました。前回の北京から13年後の東京大会に多くの北京経験者が残り、ソフトボールをやり続けてきたということに驚くと同時に、日本が強敵である米国に再度勝利する力を持ち続けていたところに畏敬の念を抱きます。

日本が金、米国は銀、カナダが銅という結果の試合後に表彰式がありました。

国旗掲揚の前にメダル授与式です。今回のメダル授与式は、コロナ禍のためプレゼンターから手渡しでもらったメダルを自分でかけるルールになっているようです。

なので多くの場合、表彰式では皆が自分でかけます。ソフトボールは、団体戦なので自国の選手が横にならんで表彰台に上がります。カナダは左端の選手の隣の選手がメダルを受取り、自分の右隣の選手にメダルをかけハグをしていました。日本も同様の対応を行い、しかし文化や習慣の違いからかハグはなかったと記憶しています。

米国はこのやり方をする選手としない選手がいてバラバラでした。当初から皆でこのやり方を決めていなかったのだろうと思いました。

「左端の選手の隣の選手がメダルを受取り、自分の右隣の選手にメダルをかける」方式は、オリンピックに相応しい相手を褒めたたえるという印象があり、適切なものだと思います。自分でメダルを首にかけるのも、自分で自分を褒める、という意味からは良いと思いますが、団体戦であればなおさらチームの仲間を褒める(誉める)ことが必要なのではないかと考えます。

オリンピックのルールとしてこの方法を採用し、これ以外はだめ、とすることはどうかとは思いますが、カナダ、日本の授賞式の光景は少なくともチームとしての結束力を示すものだったと理解しています。

米国は、力がありながら再度日本に負けました。9回裏に何人かの選手が涙目になっているのをテレビ越しに見て勝負に対する執着や気迫は感じられたものの、日本との差が出たのは、適切かどうかわかりませんが、授賞式に見たメダルの取り扱いにみる「チーム結束力」なのではないかと感じた瞬間でした。

なお、ソフトボールはチームでの勝利であり、一体感が求められるスポーツなので、とりわけ、そのような印象があったのかもしれません。

例えば、男子体操は銀メダルのとき「このやり方」はできていませんでした。

体操はソフトボールとは試合の進め方やそもそものトレーニングの内容も異なり、個人競技の集積点で勝負が決まることで、得意分野が異なるメンバーのチームの大切さを感じつつも、選手の思いは自分に向くのかもしれないと一人納得しています。

我々の結束

企業はどうでしょう。同じ目標に向かい途切れることなく毎日試合をしているような人生です。一人ひとりの価値観は異なるもののビジョンや戦略は共有し、チームで仕事をしています。

たまに表彰されることはあってもメダルをもらう機会はありませんが、日々細かく決めた目標や月々、年間の目標のために(もちろんオリンピックの壮絶な厳しさはないしオリンピックになぞらえるのも不遜ですが)我々も皆日々葛藤し勝負しながら生活しています。

チームの仲間として皆で相互を慮り、メダルを掛け合うような関係をつくりあげている企業は強いと思います。

今の日本の職場環境においては誰かれなく、リアルにハグをし合うカナダ方式は問題を生むとしても、米国のチームとしての不揃いな対応ではなく、ソフトボールの表彰式の日本のような行動をとれると良いのではないでしょうか。

自己の鍛錬を行いつつ、一体感をもってチームの一員として他のメンバーとの連携による成果を求め、結束して日々活動しなければならないと、表彰式を観ながら学んだのでした。[石井友二]

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