朝、自宅の玄関で靴を履くとき、これから一日が始まるという気持ちになります。
そして一日懸命に働き、毎日夜遅く、ときには0時近く、もしくは0時を廻って自宅に帰り、目覚ましをセットして、時間が来れば目覚め、洗面をして着替え、朝食をとり、また靴を履きます。
毎日の目標や、やるべきことが決めているなか、その繰り返しのなかで私が生活しているのだということに気が付かされます。
家から出て広い道にでると、つい先日まで桜の花が大きく道を遮っていたものが、いまではすっかり新緑の木々が風にふかれ、サワサワと音を立てているように揺れています。
季節は変わり、初夏の匂いがする日もあり、もう夏なんだなと思う瞬間もあります。
元旦の凛とした空気のなかで、青空が広がる、誰の息遣いも聞こえない、シーンとした住宅街に立ち、新年の到来に心が躍り、今年こそはと決意してからもう4ヶ月以上が経過しているのです。
家族や仲間や友人や、さまざまな関係に身を置きながら、生まれたときから今に至っています。
いままでの喜びも、悲しみも、羞恥も、称賛も、後悔も、意欲も、そして忘却や強い思いもすべてが自分に化体(かたい)し、肉体や血の中に、そして精神に、思考のなかに、行動のなかに染み込んで、私ができています。
そして朝になれば、また私は靴を履きます。
靴を履いたり脱いだりする繰り返し時間を過ごしているなかで、ややもすれば何のために生き、何のために思いを遂げるための人生を過ごしているのか。忘れてしまうことに気付きます。