[コラム]宇宙の心に抱かれて生きる

人の運命はどう決まるのか

日曜日の夜遅くノウイングという映画を見ました。

地球の運命は決まっていて、それを人間は阻止できない。死ぬことは避けるのではなく、受け入れる。そもそも地球は誰がつくったのか、なぜ存在するのか、いつまで存在し続けるのかを意識しないで皆は生きている。しかし、確実に最後はやってくる。

ただ、それは宇宙でいえば小さな出来事、「これは終わりではなく始まりだ」的なことを、神父であるニコラスケイジの父親はいう…。ニコラスケイジが、「I am knowing(アイムノウイング=分かってるよ)!」と言う、映画です。

基本的に、人間は誰がつくったのか。どこからきたのかを問うものです。もちろん地球上に生物や人類が誕生し、それが進化して現在にいたっているのは理解できますが、宇宙はだれがつくったのか。宇宙はなぜあるのか。はじはどのようになっているのか。他に天体があり、どのような生物が生息しているのか…。などなど分からないことばかりで、考えが及ばない世界です。

生きる価値を見出す

そもそもすべてを分かろうとすることが無意味なのだとあるとき気が付きました。

結局は人は、宇宙の心に抱かれて、生かされている。生かされているのであれば活きなければならない。

であれば、何をするのか。享楽や自分の利己に走るのではなく、自分を犠牲にしても何かを残すことが使命なのだということがそれです。

聖人ではないので、自分をすべて犠牲にして他者のために生きると、心から言えるはずもなく、結局は俗人的で、しかし、そうではないところに、広い心をもち少しでも近づくことが目標になったのはいつからかと思います。

なお、活かされるためには、懸命に働くことが必要だという結論は揺るぎのないものであると納得しています。

ただ、折に触れて仲間内で、「何のために懸命に働くのか」という議論になります。

答えは多様でとりとめもありませんが、「生きる価値を見出すため」という答えが帰ってくる人も多く、少し安心した記憶があります。

宇宙から見た地球は清く、美しく、透き通った色をしているようです。

もちろん、宇宙から地球をみられる機会はないものの、何かを上からみることで自分の居場所の確認ができるとすれば、ときどきは上から地球を眺めてみたいと思います。

今回、ビルの上から地上を見てみると随分と街が進化し大きく、そして思った以上に整然としていることがわかります。

さすがに宇宙の心はもてないけれども、ビルからみる景色の大きさ程度の心は、なんとか持てるかもしれない。(傲慢ですが)ふと、そんな気がした一時(ひととき)でした。[石井友二]

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