[コラム]バナナとともに走り抜ける
朝を駆け抜ける
10年以上前のある朝の様子を自分のブログで見つけました。こんな感じで働いていたのを懐かしく思います。
『バナナを2本鞄に放り込み、マンションの6階にある自宅のドアを開けると、まだ朝5時すぎだというのに、少しだけ街の明るい空気が流れ込んできました。
天気がよいと、外廊下からは薄暗い中でも、左ななめのずっと遠くの方向に、うっすらと秩父の山々が連なっているのがわかります。
急いで、しかし、できるだけ音を立てないように25mほど歩き左に曲がると、廊下はエレベーターホールにつながっています。
この段階で電車がホームに入るまで約9分の時間が残されています。5時19分の電車に乗れなければ、とても厳しいことになります。
ここからが私の一日の闘いです。エレベーターのボタンを押し、エレベーターのドアが開くのを待ち(運がよければ遅い新聞配達のおじさんが私の階でエレベーターを降りて階下に降りていくタイミングに合わせることができます)、下に降り、7mほど左に走り、マンションのエントランスのガラスドアを開け、右に飛びだします。
ここから2車線の道が駅のロータリーまでつながっています。
正面に駅がみえます。一気に商店街の向こうにある駅をめざし走りはじめます。通常であれば徒歩8分の距離ですが、実際に3分で走り抜けることを理想としています。
その日にプレゼンがあり、ガラガラ荷物をひかなければならないときには、早朝にガーという音がこだますることになります。
まだベッドにいる人にとっては、とても迷惑だろうなと思います。真冬などは、漆黒の世界を月の光を頼りに、不審者な人影が大きな音を出しながら路をすごいスピードで駆け抜けていく…。想像しただけでも危ない光景です。
駅近くには、牛丼のお店やコンビニ、ファミレス、24時間スーパーなどが早朝から営業をしており、また、駅の反対側に歓楽街があるところから、通勤帰り(?)の人々が以外と多く行き来しています。
感動するのは、倫理会(たぶん)の人たちです。朝早く掃除用具をもち2~30人が、無言で駅の周辺の掃除をしていることです。
人は自分を律することで、何かを得ようとする生き物です。新しい環境に身を置くといった意味をもって活動している人や、清掃を継続していくなかで自分を変えていこうという人、そして朝からよいことをしてすがすがしい一日を迎えようと考える人、あるいはここでは語り尽くせない思いをもって生きていこうという決意をしている人達が、黙々とゴミを拾い集めています。
朝から人間の苦悩と喜びを垣間見るほんの瞬間で、自分をあるべき道に引き戻すことができます。
あ~自分も頑張ろうと思う間もなく、延髄は眼の前にある階段を駆け上るよう両足に電気信号を送ります。脱兎のごとく3つずつステップを上がり、30mほど向こうにある改札を走り抜けます。
丁度家を出てから5分程度が経過し、一番奥のエスカレーターに到達することができます。ここまでくれば電車に間に合います。
早朝の人々
ホームに辿りつくと、すでに多くの人がホームで電車を待っています。これが早朝であるのか、見まがうほどです。
一日を早朝にはじめる人達がここにたくさんいる、そう感じたときに、ここでまた私の闘いに向けた意識はさらに武装し、弛緩していた身体にまとわりつく空気が一気に先鋭なものに変わります。
人は最期の瞬間に向け、日々をどう生きるのかを問われています。自分の役割を今日も感じつつ、新しい一日を過ごしていきたいと思います。』[石井友二]
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