[コラム]自らを生きること

生きるものには寿命がある

人の命は短くて、できることも限られているにもかかわらず、多くのすばらしいできごとを成し遂げている人がたくさんいます。

小さな出来事を積み重ねながら、つつましく、しかし地域に根を下ろし、地域のために頑張っている人もたくさんいます。

何もしなくても、人が生きていることの尊さを教えてくれる人々もいます。

リーダーの役割をもって仕事をしている人も、そうではない人も、またそうした場に立たない人であったとしても、みなこの世に生きて、使命をもって過ごしているのです。

その人が、自分が生きた証を残したり、残さなかったり、でも、知らない間にどこかで他に影響を与え、他の人の役にたっていることもたくさんあります。

で、自分がどのような人間なのか、そして何をしなければならいのかについて考えようと考えまいと、結局は物理的に時間が経過し、そのなかでいつか人生は最期を迎えます。

「地球そのもの」の営みすら力をなくし、数十億年後ともいわれていますが、地球も存在しなくなる時期がきます。

太陽が50億年以内に、核融合燃料を使い果たして赤色巨星に変化し膨張し地球を呑み込まみ最期を遂げるといわれているからです。

自分はコントロールできる

こうして考えると寿命の長短はあるとしても、生きるものはすべてその時間を終わります。

それが生きているものの、そして人間の摂理であると判っている人も、分からない人も、また分かりたくない人もいることでしょう。

いろいろなことがあり、いろいろな思いをもち、いろいろなことを感じ、他者と交わり、離散し、喜び悲しみ、怒り、反省し、心配し、安心し、毎日それを繰り返していくことが生きることですが、そのなかで唯一人間に与えられたこと。

それは「たいていのことは自分でコントロールできる」ということ。

自分なりに、自分のできる範囲で、家族や地域、社会において自分がやらなければならないと思ったこと、やらなければならないこと、できることをやり続け、何かを越えようと努力し続けられることを意味しています。

すべての人は刻一刻と最期の時間が迫るなか、思いを持ち行動すれば、限られた時間を有効に活用しながら自分の思うままに生きられる。

そう納得し、相互に支援し合いながら皆が生きていければ、どんなに素敵なんだろうと、最近思います。[石井友二]

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