[コラム]空から見た無限の可能性

躍動する景色

函館空港を8時45分に飛び立ったANAボンバルディアDHC8-Q400は、乗客もまばらで74席の狭い機内が随分広く感じることができるほどでした。

函館から札幌市内に入るには3つのルートがあります。一つはJRで3時間以上列車に揺れながら札幌駅に移動する方法、そして二つめは函館空港から丘珠空港、そしてバス、地下鉄を乗り継いで市内に入るやり方、三つめとして函館空港から千歳空港、そして快速で札幌駅に入る方法です。

先日の私の移動は三つめを選択しました。

ジェット機よりも低い高さを飛ぶ飛行機の窓からの景色は、現実味のある、しかし地上にいれば、まず見ることのできない景色です。空港から上昇すると大きく海岸を展開し、海をなぞり、そしてまた陸に入るというコースです。

人の息遣いが聞こえてくるような、暖かい、そして、どこかで見慣れた海や山や川、平野が眼下に広がります。自然のなかに人間がつくりだしたものがそこここに点在しています。

ゴルフコースであったり、港湾施設であったり、道路であったり、人が営々と築いてきたものを垣間見ることができます。善し悪しはあるものの、人が生きるためにつくりだしてきた、彼らの生きざまがそこに広がります。欲望のためあるいは政争のため、見えをはるため…そこにはさまざまな理由があるのでしょう。

理由はともあれ、そこにあるものは生活に不可欠であり、また役に立っているものも多くあるのだと思います。必然と偶然が交差するなかに人が生きていることが、景色を通し透けて見えてくる時間でした。

畑に見る未来

目を見張るのは畑です。整然と形づくられ、機能的に生産を行おうという意図が垣間見れます。つくりだした美しさがあります。人が動きやすい範囲で、また生産物の収穫高を考慮した広さで区切り、作業が秩序よく行われている可能性があります。

なぜこのように区分がつくられているのかは分かりませんし、畑が形づけられている意味を知るよしもありませんが、何かぐぐっと心に迫るものがありました。

人が考え行動し、そして生き活動して成果(収穫)を得る。そこには苦悩や絶望、満足や喚起など生産者の生活が表現されているからです。人間の可能性は無限であり、無から築きあげてきた文明を私たちは享受しています。

畑のなかにその歴史が見えた気がして少し感動しました。少子高齢化や政治の荒廃により沈みゆく日本に生きている私たちが何をしなければならないのかの答えは、そんなに遠くにあるものではないと思うのでした。[石井友二]

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