[コラム]空からみた自分の存在

大事なのは達成感を得る人生

人は、この世に生を受け、しばらくすると自我が芽生え、学生のうちは自分の意思をもちつつ一定のながれにのり、社会人になるときからほぼ完全に自分の意思で生きていくようになります。

なので、自分が一人の人間として意識や思いを持ち活動するとき、どうしても自分を中心に置いてしまうのはいた仕方ないことです。

しかし、人は他者からの影響や支援を受けなければ一人では生きていけません。一方、例外を除き社会のなかで自分が与える影響も軽微であり、小さいことに気付かなければなりません。

たとえ、巨大な組織や国政の長であったとしても、日々の国民の生活のなかで彼ら個人のできることは限られています。

彼らを支える組織や機能が有効に機能して、その意思を反映した活動を支えるのは、他の多くの人々であり、組織力や政治力において彼らを含む総体の役割が行使されて、初めて成果が得られるのだと思います。

短い人生、他人の業績を気にする必要もないし、社会に与える影響も軽微と考えれば、大事なのは「自分が充実した人生を生きられたかどうか」なのだと分かります。

自分が〇〇をする、という強い意志をもち、自らを鼓舞しながら達成感を得る人生を積み重ねることは、例えどのような生まれ方をしたとしても大切なことだと思います。

そのうえで、自分一人だけでは生きられないことを知り、自分の思いを伝えつつ、多くの人々に支えられて、自分は生かされている、と考え行動する必要があります。

自分は生かされている

飛行機に乗り景色に触れると、いかに自分が小さな存在なのかが理解できます。芥子粒のような自分は、何をするために生かされているのか、何を役割として負うことができるのかと改めて考えるのです。

享楽的に生きるのも人生でしょう。利己的に生きていくのもまたその人の価値観かもしれません。

しかし、自分は何等かの役割をもち生かされているとしたら、社会における自分が提供できる価値や機能について考えざるを得ません。

後悔をしないために、自分が与えられた意識をもって心に決めた、やらなければならないことをやり続けること、微々たるものかもしれないけれど、やるべきことを軸として生きていくことが人生なのではないかと思うのです。

ここで、「生かされている」ことについてです。

経験や知識や他者からの影響など、さまざまな要素により、自分がやりたい、やろうと決めたことは自然に自分の心に芽生えたように思えますが、実は生まれたときから、既にそう思うように仕組まれていたものではないかと感じることがあります。

決して自分に枠をはめるつもりはありませんが、宇宙があることも、銀河系があることも、地球が浮いていることも、人間が存在することも、すべて人知の及ぶところではなく、自分がなぜここにいるのかもわからない今、「生かされている」というのはそうしたことではないかと考えているのです。

その考えが正しいかどうかは神のみぞ知る、ということなのでしょうが、今回は、自分や自分の存在を問い直す機会をもてました。

上に降りた後、ホテルで自分がどうあるべきか、熟考してみることにしようと思います。[石井友二]

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